太郎山山系、太郎山の里
古代史
・ナウマンゾウの化石
長野県北部には野尻湖と同様に、ナウマン象の化石は上田市でも発見されています。さらに、青木村、小諸市、佐久市、佐久穂町、南牧村、富士見町でも発見されていることから、彼らは野尻湖から千曲川に沿った低地を歩んできたと考えらています。ナウマン象はおよそ2万年前には衰滅しており、稲作が始まった弥生時代早期(紀元前1000年)と比較してみても既に上田盆地は出現していたことがわかります。
・唐猫伝説
その昔、太鼓と言われる頃、上田から佐久にかけては大きな湖があり、今の「鼠宿」にいた大鼠が田畑を荒らして人々を苦しめていました。困った村人は唐の国から大きな「唐猫」を連れてきて大鼠と対決させた。大鼠は岩を登って逃げたが、唐猫に追いつかれ岩を噛み破って逃げようとしました。すると、そこから一気に湖水が流れ出て、大鼠と唐猫は流された。
この時にできた川が「千曲川」であり、大鼠が砕いた岩が岩鼻」と呼ばれることになりました。唐猫は流れ着いた篠ノ井塩崎で「唐猫神社」、大鼠は昔、ツツガムシを退治して役に立った時もあったので「鼠大明神」として岩鼻に祀られています。
この昔話は「龍の子太郎」に代表される「蹴裂(けさき)伝説」だと考える説があります。大鼠とはこの地に移動してきた稲作民族であり、唐猫とは先住していた狩猟民族で、稲作に適した肥沃な土地を、湖の決壊で得ようとした稲作民族に先住民族が反発したというものです。史実はどうだったのでしょうか?
※写真は伝説の場所「岩鼻」:千曲川を挟んで左岸(半過)・右岸(塩尻)にわかれるが、近くに行くと両者は離れており、別々の山並みであったことがわかります。
・その昔、太郎山山系は分水嶺であった
新世代の第四期と呼ばれるころ(258万8000年前~)上田盆地は湖の底でした。湖の水は現在の浅間山の東側を通り太平洋に流れ出たとされています。太郎山山系の菖蒲平からは河床礫が見つかっており、湖面はそこまであったことを物語っています。
・浅間山の噴火が川の流れを変えた
その後、浅間山の活発な噴火活動で現在の長野県と群馬県の県境が堆積物で高くなり新たな「分水嶺」となりました。(浅間山の活動は、黒斑期2.1万年前、仏岩期2.1~1.5万年前、前掛期1.5万年前~現在)これにより湖水の流れる先は日本海へと変わり、千曲川の原型となります。この流れに侵食されて特徴のある2つの岩鼻が誕生したのです。